株式会社 アド宣通 炭田 恵崇 社長


商業施設総合企画・建設業
商業振興こそ日本再生の道

時代の波を真っ先にかぶる看板業。
株式会社アド宣通は、幾度かの変転を経験しながら「繁盛店」を創出する店舗づくりに行き着いた。
炭田恵崇社長は「商業振興こそが日本再生の道」と力を込める。


profile

昭和49年(1974年)栃木県宇都宮市生まれ。
作新学院高校から東京の製図の専門学校に進む。
鉄筋工、レストラン店長などを経験した後、父親が経営する株式会社アド宣通に入社。
平成22年に同社代表取締役社長に就任。


がむしゃらに働き自分の道を開く
炭田 恵崇社長
炭田 恵崇 社長

 炭田社長は高校を卒業後、東京の専門学校で建築関係の製図を学んだ。CADはまだあまり普及しておらず、鉛筆を削って線を引いていたころだ。卒業後、栃木県に戻り、鉄筋工として肉体労働の最前線に立つ。雇ってくれた社長にほれ込み『社長のために』の思いが強かったという。
 その社長が月に100万円を稼いでいると聞き、そこに目標を置いた。「とにかくがむしゃらに働きました。現場仕事のつらさも危険性も充実感もこの時に覚えました」。専門学校で習ったおかげで図面が読めたことも有利に働き、わずか1年半ほどでその目標を達成する。「むちゃなことにもチャレンジできるのが若い時の特権ではないでしょうか」と笑う。
 やがてそのバイタリティーを見込まれて、傾きかけていたレストランバーに引き抜かれる。全く畑違いだったが、ここでオーナーや前店長から、接客・レジ・料理・掃除・店の開け閉めまで、すべての手ほどきを受け、貪欲に吸収した。
 2カ月後、オーナーに「すべてを任せるからやれ」と言われ、本格的な経営に取り組む。「A4のノートを用意して、その日その日の仕入れ、売り上げを克明に記録しました。こうして積み重ねていくと店の状況がとてもよく分かり、1日ごとなので修正もしやすいのです」。ここに現在の経営のルーツがあると強調する。
 こうした経験から、自分の道は自分で切り開くものと考えていたが、このころ父が創業した株式会社アド宣通がバブル経済の崩壊のあおりを受けて危機に陥る。家族を見捨ててはおけない。これまでもがんばれたのだから、自分が入れば何とかなるだろうとの思いで24歳の時に入社する。


店舗の内外装を通して繁盛店をつくる

 入社してから社の運営方針を大きく切り替えた。当時の状況を振り返って「栃木県内での競争で遅れを取ったのなら、東京で勝負しようと考えました。仕事で連携していた仲間の力、栃木の力を結集して東京の市場にぶつけたのです」と語る。
 身一つで東京に乗り込み、つてを頼って全国にフランチャイズを展開していた企業に営業をかけた。人件費は低く、流通環境に優れ、産業活動も活発な栃木県。好環境を背景に「ものづくり」には定評のある「栃木の力」を、ぜひ生かすべきだと強く訴えた。この意図がうまく伝わって、全国に事業展開をする企業と結びつくことで実績を伸ばしていく。パソコン一つを抱えて全国を渡り歩く多忙な日々が続いた。
 しかし、30歳を過ぎようとしていたある日、佐藤勝人氏から「君のやり方には根っこがない」と厳しい言葉を投げかけられる。「自分としては栃木の力を結集していたつもりでした。しかし、それはお客様のためではあったけれども地域のためではなかったのです。お客様を第一に考えるあまり、ずいぶんきつい注文をつけて仲間たちには苦労をかけました」と自省する。
 地元で足元を固めようと考え、大きな方針転換を図る。そこで採用したのが、現在主力となっている店舗の内外装を手がける事業だった。県の建設業
許可を受け、店づくりのアドバイザーとして歩み出す。その基礎には、先代が大型店のゴンドラ什器(店舗内の陳列機器)を扱いながら、その店と共に伸びてきた20年間の歴史があった。
 同社の会社案内には『お客様の増収増益』と『お客様の店舗拡充』の方針が掲げてある。最新の技術と情報を提供し、時代の先を読んだ店舗展開を共に考える。「つくった店がつぶれてしまうようでは話になりません。売り上げが伸びる店の共通点は何か。繁盛店になるためにはどうすればいいかをしっかりとつかみ、今伸び悩んでいるお店に提案していきます」。
 成功する店は例外なく『健全性』と『透明性』を備えていると分析する。店構えなどのハード部分はもちろん、経営内容や取り扱い商品などのソフト面にも同じことがいえるという。これらすべてを企画・設計の中に取り込む。こうして何らかのかたちで関わっている店舗は、月に100件を超え、年間では1000件以上にのぼる。


自分の夢の実現へ お客様に徹底的に尽くす
「健全性」と「透明性」を取り込んだ店舗の施工事例
「健全性」と「透明性」を取り込んだ店舗の施工事例

 同社の経営理念には『人が輝きまちを創り 夢に輝き明日を創る』とある。また、事業目的として『光り輝く未来づくりと商業文化の活性化』を置く。
 「私は我欲が強くなければ成功はないと思っています。自分の夢を実現するため人のためにがんばる。その姿が第三者から見れば他人に尽くしていることになる。それでいいのではないでしょうか」。
 自分の夢は、と問われれば、お客様に必要とされる繁盛店をつくることと言い切る。そのためには自分たちが持つスキルや実績のすべてを注ぎこみ、お客様に徹底的に貢献すること。お客様の業績を伸ばそうと考え続けている限り、自分たちは存続できる――。こうした確固とした信念は揺らぐことがない。そしてその延長線上には、よりよい明るい街をつくりたいという大きな目標がある。「栃木の商業を盛り上げ、それを支えている現場の人々の努力をもっともっと知らしめたい。そのようにして日本にあるいは世界に、商業の素晴らしさを発信していければと思います」。地域一番店になれたら全国に同じ理念に基づく会社を展開したい、と夢はさらに広がる。平成24年には仙台支社を開設した。震災からの本当の復旧には、何よりもしっかりとした雇用の場の確保が必要と考えたからだ。
 日本の再建には商業の力が最も重要だというのが持論。昔から言われる士農工商の位置付けを転換したいという。「人の気持ちが分かり、商品を愛し、お客様のために研究開発を怠らず、スタッフと一緒に汗をかいて店を磨く商業こそが、最高に尊いということを広く知ってほしい。商業の地位向上のために少しでも貢献できたらと思います」と力を込める。
 リーマンショックの影響が色濃く残る平成22年に社長に就任した。炭田社長は何よりも人を大切にする。8人のスタッフと150社のパートナーがいるが「みんな本当に一生懸命やってくれています。担当するお客様に関しては私が口を出すすきもありません」と笑う。人材ではなく「人財」だから、と考えている。
 厳しい社会環境は相変わらずだが、若い世代の経営者には「新規開拓に走るな」とあえて厳しい言葉を贈る。目の前の困っているお客様を徹底的に大切にしてこそ未来が開ける、と強調した。


株式会社アド宣通
〒321-0346 栃木県宇都宮市下荒針町2678-443
TEL 028-648-7415 FAX 028-648-7416
URL http://www.ad-sentsu.co.jp/

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栃木の活性化の起爆剤に。